高齢化が進む日本で、近年高い注目を集めているのが「介護脱毛」。将来、自分が介護を受けるときに備えて行う脱毛のことです。要介護になり、自分で排せつができなくなると、家族や介護士が介助を行います。そこで介護を受ける側と介護をする側の肉体的・精神的負担を軽減する目的で行われるものです。40~50代の方を中心に介護脱毛の需要が増えてきていますが、どのようなメリットやデメリットがあるものなのか、共立美容外科の遠山貴之さんに聞きました。◆大きく分けると3つの種類がある「介護脱毛」の施術方法とそれぞれの効果そもそも介護士さんにムダ毛の処理もしてもらえるのではないかと感じるかもしれません。しかし、実際には自治体の多くが、介護士が髭剃りや体の剃毛を行うことを禁止しています。そのため、介護脱毛を受ける方の多くは、「介護が楽になる箇所」と「本来は定期的に手入れをしたい場所」の施術を希望されます。なかでも特に施術が多いのは、“VIO”と呼ばれるデリケートゾーンです。脱毛方法は大きく分けると「医療レーザー脱毛」「ニードル脱毛」「光脱毛」の3種類があります。医療レーザー脱毛は医療機関のみで行える施術で、医療用レーザーを照射してメラニン色素に反応させ、熱を生じさせて毛母細胞にダメージを与えます。太いゴムで弾くような強い痛みがありますが、麻酔クリームの使用が可能です。術後2~3週間で毛が抜け始めます。ニードル脱毛は、毛穴に針を差し、電気を流して毛根を破壊する施術。術後は数日で毛が抜け落ち、一度施術した毛穴からは毛が生えません。痛みは他の脱毛法よりもかなり強いですが、麻酔クリームが使用できるクリニックもあります。光脱毛は主にエステサロンなどで行われる施術で、医療レーザーよりも出力の低い光を照射します。あくまで減毛・抑毛効果を求めるもので、繰り返し施術を受けると毛が細くなり目立たなくなりますが、施術をやめると再び毛が生えることがあります。3つの施術法の中では最も痛みが少ないと言われています。術後1~3週間で毛が抜け始めます。◆「介護脱毛」の具体的なメリットとデメリットは?「介護の負担軽減だけでなく、衛生状態が良くなる」介護脱毛は本当に必要なのか、悩んでしまう人も多いはずです。そこで、具体的な介護脱毛のメリットとデメリット紹介していきます。介護脱毛の一番のメリットともいえるのが「排せつ介助がしやすくなる」こと。アンダーヘアには排せつ物が絡まりやすいので、拭き取りに時間がかかります。おむつ介助になった際にはさらに手間がかかってしまうでしょう。脱毛により排せつ介助にかかる時間が短くなれば、本人と介護士の双方の負担やストレスが軽減されるはずです。共立美容外科では医療用レーザーを使用した医療脱毛サービスを提供しており、「介護脱毛という理由で来られる方で人気の部位といえば、やはりVIOの需要が高いです」と遠山貴之さんは言います。次に「衛生状態が良くなる」こと。デリケートゾーンは雑菌が繁殖しやすい部分ですが、アンダーヘアがあると蒸れも生じやすく、汚れが残っていた場合には雑菌がどんどん繁殖していきます。介護が必要な状態の方は免疫力が下がっているケースも多いため、雑菌が入り込んで感染症を引き起こすリスクも高いです。脱毛をすれば蒸れにくくなる上、汚れも拭き取りやすくなるので、デリケートゾーンを衛生的に保ちやすいです。「介護脱毛のメリットは本文にもあるように、1つは排泄時や入浴介助時の双方の負担の軽減が挙げられます。また、脱毛をすることで細菌が繁殖しにくくなり、炎症などのトラブルや臭いの軽減などのメリットも挙げられます。正直、やらない理由がないと思います」(共立美容外科遠山貴之さん)さらに、「肌トラブルを予防できる」というメリットもあります。アンダーヘアには排せつ物が絡まりやすい上、デリケートゾーンの皮膚は薄いため、汚れをゴシゴシと拭くと皮膚が傷つき、かゆみや炎症などの肌トラブルを引き起こす可能性があります。脱毛していれば、ソフトな拭き取りできれいにできるので、肌トラブルも起きにくいです。注意点としては、脱毛を受けたことで「肌トラブルが起こる」可能性もあります。一時的な赤み、腫れ、かゆみ、色素沈着、毛嚢炎、やけどなどが挙げられます。これらの症状がでた場合は、速やかに医師の診察を受けましょう。また、医療レーザー脱毛・ニードル脱毛・光脱毛のどれを選んでも、自己処理の手間がかからない程度まで脱毛するには、「複数回通う必要がある」というのも注意点のひとつかもしれません。「医療脱毛で使用する医療用レーザーは、“黒い毛”に反応することで脱毛効果を発揮します。歳を重ねて、毛が白くなってしまうと医療用レーザーは反応しなくなってしまうので、脱毛を考えている人は白い毛になってしまう前にできるだけ早めに受けてもらうほうが良いでしょう。意外に知られていないのですが、VIOの毛も歳を重ねると白くなってしまいますよ。悩んでいる人はぜひ一度、共立美容外科の無料カウンセリングにお越しください」(共立美容外科遠山貴之さん)人にデリケートゾーンを見られることに抵抗があり、自分で行うVIO脱毛を検討している人もいるかもしれません。しかし、家庭用脱毛器はあくまで減毛・抑毛効果が得られるもので、効果が半永久的に続くものではありません。本格的に介護脱毛をしたいのであれば、医療機関やクリニックで施術を受けたほうがいいでしょう。アンダーヘアが白髪になると医療レーザー脱毛の施術はできなくなるので、気になる場合は早めに検討してみてください。共立美容外科遠山貴之さん日本美容外科学会認定専門医/麻酔科専門医1997年、順天堂大学医学部卒業。1997年、順天堂大学医学部付属病院・麻酔科に入局。2006年、共立美容外科・歯科に入局。2020年、共立美容グループ・総括副院長に就任。
2024年05月19日医療脱毛をやってみたいけど、痛みに対する不安を抱えている人もいるでしょう。痛みの感じ方は人それぞれのため、痛みの度合いは一概にはいえませんが、全く痛みがないということはありません。では、脱毛時にはどのような痛みがあるものなのか。痛みを感じやすい部位や痛みを感じにくくする方法などについて、共立美容外科の遠山貴之さんに聞きました。◆ゴムでパチンと弾かれたような痛み…痛みが強い部位は?脱毛の痛みの度合いは、施術方法や部位によって変わります。エステサロンでは「光脱毛」という施術で、比較的に痛みが少なく、ほとんどの方にとって耐えられない痛みではありません。医療脱毛は主に「レーザー脱毛」で、光脱毛よりも照射力が強く痛みも強い傾向にあります。また「ニードル脱毛」という施術法もあり、これは毛穴に直接電流を流すため、他の2つよりも痛みが強いです。脱毛の痛みは、「ゴムで弾かれたような痛み」と言われることが多いです。脱毛の照射は1つの部位に対して、一度で一気に行うわけではありません。例えばワキ脱毛の場合は、1回の施術で5~10回程度の照射が行われます。1回1回の照射は一瞬で、何度も照射しながら部位全体の施術を行うため、パチンパチンと痛みが続きます。ワキやVIO、ヒゲの脱毛は、一般的に痛みが強いと言われています。「毛が太く濃い」「神経や血管が集中している」「皮膚が薄くデリケート」といった点が、痛みを強く感じる理由として挙げられます。光脱毛やレーザー脱毛はメラニン色素に反応して毛根に熱を与えるため、毛が太く濃い部位はメラニン色素により反応しやすく、他の部位より痛みを強く感じます。また、ワキやVIOは神経や血管が集中し、皮膚もデリケートなので、照射の熱を感じやすいです。「共立美容外科では施術前に必ず個別でカウンセリングを行います。その際に、痛みが心配な方などへの声掛けを行っており、希望の方には麻酔やお冷やしをご準備することが可能です」(共立美容外科遠山貴之さん)痛みの感じ方には個人差があります。施術後は照射によって肌が熱を持っているので、ヒリヒリと痛みを感じる場合は冷水や保冷剤で肌を冷やしてください。基本的には一時的な痛みなので、翌日には痛みが治まることが多いです。脱毛回数を重ねると徐々に毛は細く、毛量も少なくなり、照射時に反応するメラニン色素も減るので、痛みも軽減されます。◆施術方法によって違いはあるのか?脱毛の施術3種類と痛みの度合い「光脱毛」は、毛が生えている部位に照射を行い、毛を生えにくくします。レーザー脱毛よりも照射が弱く、完全に毛が生えない状態にはできません。個人差はありますが、施術回数は大体24回以上、2~5年ほどかけて施術するのが一般的です。「ニードル脱毛」は、毛穴に針を刺して電流を流し、毛根の組織を焼き切る施術法で、発毛しなくなります。医療機関で受けるニードル脱毛は絶縁針脱毛で、エステサロンで受けるのは美容電気脱毛です。美容電気脱毛は絶縁針脱毛よりも弱い出力でなければなりません。針を刺して電流を流すので痛みはかなり強く、レーザー脱毛よりも痛いと感じる方が多いようです。「レーザー脱毛」は、皮膚科やクリニックで行う施術で、医療行為のためエステサロンでは行えません。光脱毛より高出力で照射できるのが特長で、毛母細胞に熱ダメージを与え、毛が生えないようにするので長期間の効果が見込めます。ただ、照射時のパワーが強い分、痛みも強くなる傾向があります。光脱毛は小さな輪ゴムで弾かれたような痛みで、レーザー脱毛は大きな輪ゴムで弾かれたような痛みといったイメージです。近年は医療脱毛が人気ですが、共立美容外科の遠山貴之さんは「唯一“永久減毛”が可能であるということが一番大きいでしょう」を理由にあげ、「最近はSNSなどでも、医療脱毛とエステ脱毛の違いなどを解説するコンテンツも増え、一般の方が昔よりも脱毛についての理解が深まっていると感じます。また、エステ脱毛によるトラブルも社会問題になっている背景もあります」と言います。「医療脱毛では、施術を行うのは看護師や医師などの医療従事者です。そのため、肌質・毛質・毛量などを医学的見地から診断し、最適な施術を行うことができるうえ、万が一何かしらの肌トラブルが発生した場合でもその場で迅速に医療措置を施すことが可能です。また、施術に用いる機器も医療現場で実際に使用されているものになりますので、高い安全性と性能が確保されています」大前提として施術を受ける前には、肌質や状態をチェックし、痛みを受けにくい肌の状態にすることが大切です。肌の保湿ケアもそうですが、肌のコンディションを整えておくことも重要です。日焼けをした皮膚はメラニン色素の量が多いため、熱が集まり痛みが強くなることもあります。また医療脱毛の場合は、クリニックによっては施術時に麻酔クリームや笑気麻酔の処置が行えるので、それもひとつの方法でしょう。ただし肌のヒリつきや赤みがひどく、なかなか治まらない場合は、施術を受けたエステサロンやクリニックに必ず相談するようにしましょう。「医療脱毛は安全に行う環境が整えられているからこそ、極度の日焼けや肌荒れなどがある方は医師の診察の上お断りするケースもあります。肌状態に悩まれている方は、一度クリニックに相談されてみると良いでしょう。また、医療脱毛は価格が高いと言われているデメリットもありますが、共立美容外科では、すべての方に効果的な医療脱毛サービスを受けてもらいやすいプランをご準備しています」(共立美容外科 遠山貴之さん)共立美容外科遠山貴之さん日本美容外科学会認定専門医/麻酔科専門医1997年、順天堂大学医学部卒業。1997年、順天堂大学医学部付属病院・麻酔科に入局。2006年、共立美容外科・歯科に入局。2020年、共立美容グループ・総括副院長に就任。
2024年05月18日名門私立中高から慶應大学医学部入学、その後モルガン・スタンレー勤務と華々しい学歴と経歴を歩んできたくるみさん(@puhsa1)。20歳の時に家を買い、23歳で大家デビュー。今年1月に出産し、現在はサイドFIREを目指しながら、千葉県勝浦市に夫婦共に育休移住しています。誰もが羨むような社会のレールから外れ、たどり着いた「選択的住民税非課税世帯作戦」とは?その先に見えてきた“本当の幸せ”を聞きました。■両親の離婚、コロナ禍での大学中退「そこから、本当の意味で主体的な人生が始まった」――名門桜蔭中・高から慶應義塾大学医学部入学というエリート街道を歩まれてきましたが、どんな学生時代を送ってきたのでしょうか?【くるみさん】両親の別居・離婚があって、中高時代は住民税非課税世帯でした。そんな経験からぼんやりと「お金には困らない幸せな人生を送りたい」と考えていました。中高時代は医学部進学が当たり前の環境だったのと、高3の時に病気で慶應病院に入院・手術を受けたのがきっかけで憧れた慶應医学部に入学しました。真面目な性格で、勉強は得意だったので、自然と“いい学校→いい大学→いい仕事→高収入→幸せ”という一般的な価値観のもと、エリート街道を突き進むことになりました。――慶應医学部生時代は学費を稼ぐためバイトに励みながら学生生活を送っていたものの、やがて中退を余儀なくされます。【くるみさん】順調に進んでいた人生の中、コロナ禍の折に中退という大きな壁にぶち当たりました。ひとたび社会のレールから外れると、自発的に道なき道を進むしかないので、19歳だった当時は先が見えず日々不安でした。ですが中退後、自分の人生を見つめ直す中で、「幸せな人生を送るためには、必ずしもエリート街道を行く必要はない」と気付いたので、再受験はせず、今までとは違う世界で生きていくことを決めました。今振り返ると、そこから人生の選択肢・可能性がどんどん広がっていき、本当の意味で主体的な人生が始まったと思います。――その後も不動産会社やモルガンスタンレーに転職と異色の転職を経験されています。サラリーマンとしての経験はご自身の中でどのようなものでしたか。【くるみさん】再受験をしないと決めたものの、この時はまだ「経済的な幸せ=人生の幸せ」という価値観を捨てられずにいて、高卒でも受けられる司法試験の予備試験を受けようかな、などと考えたこともありました。そんな時にFIREという考え方に出会い、株式投資や不動産投資で不労所得を得て、自由な人生を送りたいと思うようになりました。投資の勉強をするなら会社に入って働きながら学ぶことが1番早いと考え、収益不動産の会社やモルガンスタンレーで働きました。この時に賃貸不動産経営管理士、宅建士、証券外務員一種を取得し、仕事をする傍ら自分でも株式投資をしましたし、20歳のときには家賃がもったいないからとマイホームを買って生活コストを下げるとともに、「ヤドカリ投資」の基盤を作ることができました。ヤドカリ投資は年収が高くなくても、住宅ローンを利用してできる不動産投資の方法で、ヤドカリのように住む家を変えながら、次々に前の家を賃貸に出して家賃収入を得る手法です。働いてるときはもちろん、大変なことが沢山ありましたが、サラリーマン時代に培った経験・知識がだんだん形になってきたと感じています。――こうしたくるみさんの選択について、ご家族や周りの友人はどのような反応でしたか。【くるみさん】親は心配こそすれど、意外とあっさりしていました。大学中退後は就職とともに実家を出て経済的に自立していましたし、幸せに生きているのなら、と応援してくれました。ちょうど大学を中退する頃にお付き合いを始めたのが今の夫なのですが、夫は「くるみなら何とかなる」と、むしろ私の行動を後押ししてくれました。私のよき理解者であり、一緒に人生を楽しんでいく大事なパートナーです。■人生観が一変した夫との出会い「『幸せ=人生の成功』という方程式にヒビが入った瞬間だった」――くるみさんにとってターニングポイントとなった出来事はありますか。【くるみさん】まず人生観が変わったのは、大学2年時に今の夫と出会ったことでした。お付き合いして早々に夫の実家のホームパーティーに招いてもらったのですが、家族仲がよくて本当に幸せそうで、「こんな家庭を作りたい!」と思いました。自分の家は両親の離婚もあり、家族団欒の形から遠ざかっていたこともあって、”家庭の幸せ”を目にして衝撃を受けました。それまでの人生で当たり前だった「幸せ=人生で成功すること」という方程式にヒビが入った瞬間でした。その時から“家族を大切にしたい”という想いで選択を続け、今に至っています。――会社員として働いたことはどのような経験になりましたか?【くるみさん】モルスタで高収入&激務な世界を垣間見て、逆にお金を稼ぐことへの執着心が消えました。莫大な資産を築いてFIREするには激務でも高収入になる必要があって大変すぎるし、何十年かかるかも分からないですよね。でも私は何十年か後の経済的自由を手に入れたいのではなくて、今しかない20代の時間を楽しみたいのです。元のエリート街道への未練もここで完全に断ち切れた気がします。キャリアへの執着がなくなったので、23歳で第1子出産。1年間の育休を取るという選択にも抵抗がありませんでした。夫も同じ考えで、1年間の育休を取る決断をしてくれました。――現在はマイホームを購入された千葉県勝浦市で育休移住されています。実際に住んでみていかがですか。【くるみさん】まだ移住して間もないですが、勝浦はとても居心地がよいです。自然が豊かで、それでいて住環境は整っていて、住みやすい場所です。映画館やショッピングモールのようなお金を使って楽しむような娯楽は勝浦にはあまりありません。でも主体的に取り組める楽しさがあります。例えば、勝浦名物の朝市では、地元の人も移住者も各々の好きなこと、得意なことで出店しています。買い物はもちろん、出店者さんとのコミュニケーションが醍醐味です。子どもを連れて街を散歩していると、たくさんの人に話かけてもらえるし、魚やたけのこなんかをお裾分けしてもらうこともあります。元々、お金を使うことにはあまり興味がなかったので、精神的な豊かさのある今の暮らしは性に合っています。――勝浦移住時に以前住まれていた家を賃貸に出し、大家デビューをされました。非課税レベルの不労所得を得て、給付金をフル活用しながらサイドFIREを目指すという逆転の発想を選択されたのはどのような背景からだったのでしょうか。【くるみさん】数年社会人として働いてみて、日本的サラリーマンの働き方に疑問を持ちました。働かなくても今の給料と同じお金がもらえるのだったら、働かない人が多いと思うんです。多くの人が好きなことや、やりたいことを仕事に出来ているわけではないですよね。それでも家族のために、と働いていることと思います。ところが、サラリーマンとして「家族のために働く」という選択肢を選んでしまうと、会社に縛られて家族と過ごせる時間は途端に減ってしまいます。かと言ってFIREを達成するには時間がかかりすぎてしまう。本当に時間が欲しいのは子育てをしている今です。子どもが小さいうちに一緒に過ごせる時間は貴重ですから。ーーお子さんのことを考えての選択だったのですね。【くるみさん】逆に「家族のために働かない」という選択肢もあることに気付きました。日本は他国に類を見ないほど育休制度が充実しています。たとえば育児休業給付金は、非課税であることを利用して、選択的に住民税非課税世帯になるという方法です。日本は非課税世帯への子育て支援が幼・保・小・中・高・大を通して充実しています。無理をしてまで「経済的強者」を目指すより、子育てをしている間はあえて「経済的弱者」になることで、ひとまずお金の不安なく、子どもとの時間も生み出せるのではと考えました。とはいえ、現在育休中の私たちはまだ課税世帯なのをお断りしておきます。(住民税は前年の所得で決まるので、来年度は非課税になれるだろう、という仮定のお話です)■主体的に生きていくことで見つけた本当の“幸せ” とは――お話を伺っていると、周りに流されず、主体的に豊かな生活を送っている印象を持ちますが、現在の暮らしで悩ましいことがあるとしたら、それはどんなことでしょうか。【くるみさん】これがありがたいことに特にありません(笑)。今の家は現金で買ったので毎月の固定費は微々たるものですし、前の家を賃貸に出しているので固定の家賃収入もあります。夫婦で育児休業を取って育児を分担できているので子育ての大変さは半分ですし、子どもの成長を共に見守れるので喜びは2倍です。文章を書く仕事をしたくて始めたブログもお陰様で収益が伸びてきて、書籍を出すお話もいただけました。経済的な不安なく、子宝にも恵まれ、好きな場所で好きなことができていて、これ以上何も望むことはないです。――くるみさんが人生において一番重要だと考えていることはどんなことですか。【くるみさん】自分はやりたいことをやりたい時に自由にできること、そして家族と幸せに暮らせることを何より大事にしたいと思っています。幸せになろうとして無理をする必要はないし、心身を壊しては元も子もありません。無理なくやりたいことができている状態こそが幸せです。ただ、お金と時間に余裕がないと、なかなかやりたいことをやってみようというマインドにはなれません。そこで考えたのが先ほどお話した「ヤドカリ投資」と「選択的住民税非課税世帯作戦」でした。無理に頑張らなくてすむよう、考え努力してきました。――ご自身の半生を振り返って、どのように感じられますか。【くるみさん】大学を中退してからのほうが、自分の人生を生きている感じがするし、会社に縛られない生き方を見つけてからは家族の時間を大切にできて楽しいです。これは今まで、自分の気持ちに忠実に、主体的に行動してきた結果だと思います。どんなことでもやらされるのではなく、自分の意思で取り組んできました。本気でやりたい、叶えたいと思ったことは、実現するまで行動し続けるため失敗にはなりませんし、その過程も楽しいです。――最後に、ご自身の経験や想いを踏まえて、お子さんにはどのように成長していってほしいと考えますか。【くるみさん】世の固定概念に縛られない自由な考え方を持って、主体性に行動できる子に育ってほしいと思っています。勝浦では、勝浦プレーパークという活動に参加しています。これは既成の遊具で遊ぶのではなくて、自然の中で自由な発想で遊びをしよう、という企画です。せっかく自然が豊かな場所なので、教科書では学べない生きた経験をたくさんしてほしいし、親である自分たちも一緒に学びたいと思っています。
2024年05月15日第一印象を大きく左右すると言われる頭髪。いつまでも美しく保ちたいというのは誰しもの願うところですが、ヘアスタイルやツヤ以上に、年齢を重ねるにつれて悩みの種となるのが、白髪と薄毛です。その原因や進行を遅らせる方法、増やさないケア法は? 宋有奈先生(クリニックフォア新橋院)に聞きました。■多くの女性が苦労する白髪、大きな原因は遺伝とストレス30代中盤頃から、少しずつ増えていく白髪。年齢を重ねるとどんどん多くなり、白髪染めやケアに苦労している人も多いでしょう。そもそも白髪は、なぜできてしまうのでしょうか。「主な理由は、メラノサイトという色素細胞がなくなってしまうことによってメラニンが生成できなくなり、色が入らなくなってしまうためです。髪の色はメラニンによって決まっています。例えば、日本人を含むアジア系の方に多い黒髪はメラニンの量が多いことに、欧米人などに多いブロンドはメラニンの量が少ないことに由来しています。白髪はメラニンがほとんどないことによって、作り出されてしまうんです。加齢とともに白髪が増えるのは、メラニン色素が作られにくくなるからだといわれています」白髪になりやすいかどうかは遺伝的要素も関係するといわれていますが、もうひとつの大きな原因には「ストレス」があるそう。とくに10~20代に発症する“若白髪”は、遺伝的要因以上に、ストレスが原因であることが多いといいます。「ストレスを受けると毛細血管が収縮してしまい、頭皮が血行不良に陥ります。するとメラニン色素が十分髪に行き届かず、白髪になってしまうと考えられています」ドラマや小説で、心理的に多大な苦痛を受けた後、一夜にして髪が真っ白になったという描写がよくあります。現実ではそこまで一気に白髪になることはないにせよ、ストレスはとにかく髪に影響するということです。■ストレスと女性ホルモン現象で、更年期前後には薄毛の悩みもまた、ストレスによって引き起こされるのは白髪だけではありません。「ストレスが続いて円形脱毛症になった」という人がいるように、薄毛や抜け毛にも多大な影響を及ぼしてしまいます。「ストレスによって頭皮の血行が悪くなり、十分な栄養が髪に行き届かなくなると、ヘアサイクルが乱れて、抜け毛や薄毛を引き起こします。また、ストレスで自律神経のバランスが崩れるとホルモンバランスも崩れ、これも抜け毛や薄毛の原因になります」薄毛や抜け毛というと、前頭部や頭頂部などが局所的に薄くなる男性型脱毛症(AGA)がよく知られていますが、実は女性にも起こる症状。女性の場合は、加齢によるヘアサイクルの変化に加え、ホルモンバランスや生活習慣の乱れが原因となり、全体的に少しずつ薄くなる「びまん性脱毛症」であることが特徴です。「女性の場合、年齢を重ねるとともに女性ホルモンの濃度が下がって、髪の毛が細く軟らかくなります。髪の成長も遅くなり、抜ける量は増えるのに発毛量は減ってしまいます。さらに、更年期前後に女性ホルモンの分泌量が低下すると、相対的に男性ホルモンの濃度が高くなって、男性型脱毛症のAGAと同じメカニズムで薄毛が引き起こされます」加齢や遺伝は避けられませんが、ストレスには対処のしようはあるというもの。白髪や薄毛を少しでも減らすためには、自分に適したストレス解消法を見つけ、日常に取り入れることが大切。そのほかにも、生活で気をつけるべきことや対処法もあります。「まず、髪にとっても紫外線は大敵です。紫外線を浴びると毛母細胞がダメージを受け、白髪や薄毛、抜け毛の危険性が高まります。髪に良いケアとしては、入浴や頭皮マッサージは頭皮の血行促進に有効。栄養バランスのとれた規則正しい食事も、頭皮環境を整える重要な要素です。特に白髪に気をつけたい人は、ヨードやチロシン、銅の含まれた食事やサプリメントの摂取を心がけてください。薄毛に気をつけたい人は、髪の栄養素となる海藻やミネラル成分、鉄分などの摂取を心がけるといいでしょう」さらに、髪を作るたんぱく質も重要です。「髪の毛は約80~90%がタンパク質で構成されていて、そのうちの90%はケラチンが占めているといわれています。ケラチンには髪の毛に柔軟性や弾力性を与えるシスチンというアミノ酸が豊富に含まれているので、食事やプロテインなどのサプリメントで摂取を心がけてください。女性の場合、女性ホルモンの減少も薄毛の原因となるので、女性ホルモンと似た作用のあるイソフラボンや大豆製品も、とくに更年期前後の方は積極的に摂っていただくといいでしょう」年齢を重ねれば、誰もが対峙することとなる白髪と薄毛。悩む人は多いと思いますが、日頃の生活とケアを心がけていきたいものです。【監修】宋 有奈(そんゆな)獨協医科大学卒業後、東京慈恵会医科大学附属病院に勤務し、形成外科・レーザーを中心とした診療を行う。現在はクリニックフォアで皮膚科、形成外科の質の高いプライマリーケアの実践を行っている。
2024年05月14日男性だけでなく女性にも現れ、薄毛や抜け毛を引き起こすAGA。男性は局所的に毛が薄くなる一方で、女性は全体的に少しずつ薄くなる「びまん性脱毛症」であることが多く、ホルモンバランスや生活習慣の乱れ、慢性的なストレスが原因になるそうです。更年期前後の40~50代の女性を中心に、近年は20~30代前半の若い世代でも増えているというこの疾患。年代別の原因や特徴を宋有奈先生(クリニックフォア新橋院)に聞きました。■【20~30代】若くても睡眠不足で更年期と同じ状態に? 30代後半での出産後はとくに注意「男性型脱毛症」と訳されるAGAは、男性ホルモンに起因して発症するのが特徴。一方女性は、更年期障害の前後などに女性ホルモンの分泌量が減少すると、女性ホルモンと男性ホルモンのバランスが乱れ、男性ホルモンの濃度が相対的に高くなって薄毛が引き起こされます。ただ近年では更年期の時期に限らず、「20~30代の若い世代の方の受診も増えている」とか。「20~30代の場合は、食生活や睡眠などの生活習慣の乱れや慢性的なストレス、過度なヘアカラーやパーマが原因となっていることが大半です。睡眠が足りずに成長ホルモンが不足すると、女性ホルモンの分泌量が減少して更年期の時期と同じような状態に。また、極端なダイエットなど食生活の乱れは、栄養不足で髪がやせ細り、抜けやすくもなります。慢性的なストレスは頭皮の血行不良の元ですし、ヘアカラーやパーマは毛髪だけでなく頭皮環境にもダメージを与えます」20~30代で妊娠・出産した場合、その期間は女性ホルモンが減少するため、抜け毛が増え、髪が薄くなることもあります。若年層であれば、基本的には出産後にホルモンバランスは元に戻り、栄養素を奪われる授乳期が過ぎた頃には毛髪も回復します。しかし、「年齢によっては注意も必要」と先生はアドバイスします。「30代後半くらいになると、出産後もなかなか髪の毛が生えてこないというケースもみられます。年齢的に、女性ホルモンの数値が下がっているためと考えられるので、そういう方には抜け毛を防止するお薬、発毛を促すお薬を処方しています」では、40代はどうでしょうか。調査によると、実に8割の人が薄毛に対する不安を持っているということです。「更年期に入る40代は、ホルモンバランスが変わりやすい時期です。更年期を迎える手前から、髪にコシやハリを与える女性ホルモン・エストロゲンが大きく変動し、一気に減少していきます。これによってまず、細くて弱い軟毛化が起きます。その後、女性ホルモンの濃度が下がるにつれて髪の毛の成長が遅くなり、退行期を早め、髪は抜け落ちやすくなります」さらに、その症状は閉経を迎えるとさらに加速します。「女性の体内には男性の10分の1~20分の1の量の男性ホルモンが分泌されていますが、閉経後は女性ホルモンの分泌量が低下するため、男性ホルモンの濃度が相対的に高くなります。結果、男性AGAと同じメカニズムで薄毛と脱毛が引き起こされます。ただし、更年期障害の症状や度合いが人それぞれ異なるように、薄毛や脱毛も急に起きる方もいれば、少しずつ出る方もいるなど、かなり個人差があります。早めの治療が有効なので、気になる症状が出たら医療機関の受診をおすすめします」■【50代~】髪の本数が年々少なくなり、全体的に薄毛に…50代以降もまた、男性AGAと同じメカニズムで薄毛や脱け毛が起こります。ただし、症状は男性のそれとは少し異なるそう。「髪は成長し抜け落ちるというサイクルを繰り返していますが、男性の場合は、髪がどんどん細くなって抜け落ちて薄毛になり、進行すると、脱毛した部分からは髪が生えてこなくなります。一方、女性の場合は、年齢とともに脱毛後に新たに髪が生えるまでに時間がかかるように。髪の本数が年々少なくなって、全体的に薄毛になってしまうのが特徴です」女性ホルモンの減少が大きな原因である以上、年を経たら女性AGAは多くが避けられない問題。いつまでも豊かな髪、ヘアスタイルを保つためにも、若いうちから日頃の生活に気を配るようにしましょう。そして、気になる症状が出てきたら、早めに専門医に相談してみることがお勧めです。【監修】宋 有奈(そんゆな)獨協医科大学卒業後、東京慈恵会医科大学附属病院に勤務し、形成外科・レーザーを中心とした診療を行う。現在はクリニックフォアで皮膚科、形成外科の質の高いプライマリーケアの実践を行っている。(文:河上いつ子)
2024年05月08日パートナーの娘さんの高校卒業式に参加した、トランスジェンダーの1つであるFtMのAOさん。式が終わった後、娘さんから感謝の気持ちを綴ったお手紙を渡され、その内容にAOさんは思わず感極まってしまったと話します。その手紙を読む様子をおさめた投稿は149万回再生され、「素敵な家族」「血の繋がりより、心の繋がり」「いろんな家族の形があっていいと思います」「こんなイケメンパパ羨ましい!」などのコメントも寄せられています。多感な時期の娘さんとの関係性をどのように築いていったのか、AOさんに話を聞きました。■父親だと思ってほしいと考えたことはなかったけど… 手紙に綴られた娘の想いに感極まる――娘さんからお手紙をもらったとき、どのような気持ちでしたか?【AO】まさか僕にまで書いてくれているとは思わなかったので、本当にうれしかったです。僕とパートナーで協力して専門学校へ進学させてくれたことへの感謝や、2人がいつも仲良しで可愛くてかっこよくて大好きだといったことが綴られていたのですが、そんな風に思ってくれているなんて思っていませんでした。娘に自分のことを父親だと思ってほしいと考えたことはなかったのですが、少しは父親のような存在になれていたんだと思うと感極まりました。――AOさんがママさんのパートナーとして一緒に住むことを話したとき、娘さんはどんな反応をされていたのでしょうか?【AO】初めは僕たちが付き合っていることは内緒にしていました。「お母さんの一番仲良しな友達なんだよー」って(笑)。ですが、僕が若く未熟だったのと付き合いたての勢いもあり、半同棲みたいな生活を1ヶ月程していたところ、娘から「AOのことは嫌いじゃないけど、一緒に住むのは違うんだよね。泊まりに来るのは全然いいよ!」と言われてしまい…。「そりゃそうだ!!」と思ったので、僕はすぐに出て行きました(笑)。――そこからどうなったのですか?【AO】それから1年程かけて、週末にはお泊まりをして、パートナーと一緒に夕飯を作ってみんなで食事したり、僕が塾の送り迎えをしたりして、なるべくストレスなく生活に溶け込めるようにしました。娘が中3になった頃、パートナーが「私が彼氏を連れてきたらどうする?」と娘に尋ねたところ「AOだったらいいよ!一緒に暮らすならAO以外無理」と言ってくれました。そこで晴れて、僕たちは付き合っていてお母さんを本当に愛していることと、それと同じくらい君のことも大事に思っているということを伝えて、一緒に暮らしていくことになりました。――娘さんはAOさんをどのようにして家族として受け入れていったと感じますか?【AO】「お迎え来て!服貸して!宿題手伝って!髪切って!」とおねだりをしてくれるところに、心を許してくれていると感じます。「ちょっと肩揉んで!」などもありましたね(笑)。彼氏の相談をしてきてくれたり、困ったときにはいつも僕に助けを求めてくれていました。――頼りになる存在なのですね。【AO】もう1つすごくうれしかったのは、僕がトランス男性であるということも、自分の母親の彼氏であるということも、友達や学校の先生に隠さずに話してくれていたことです。僕が娘の立場だったら同じことができたのかわからないので、一人の素晴らしい人間として娘を尊敬しています。――娘さんとの関わり方で難しさを感じた部分はありますか?【AO】難しいと感じたことは特にないですが、必要以上に馴れ馴れしくしたり、無理に仲良くなろうとしたりはしないようにしていました。娘が僕を必要としてくれたときにだけ全力で応えるようにしていたら、いつの間にか仲良くなっていました。――それはとても大切なことですよね。【AO】あとは、パートナーをとにかく大事にして、毎日愛していることを伝えていたので、その姿を見て、家族として受け入れてくれたのかなとも思います。娘やパートナーにとって一番頼りになる存在でいたかったので、そこはかなり努力しました。――子育てや家のことも含めて、どのように分担していましたか?【AO】僕の子育ての明確な役割は、塾や学校、部活の送迎がメインでした。それ以外の家事などは全てパートナーと分担で、炊事やお弁当作りも交代でやったり一緒にやったりしています。学費や生活費なども今のところ全て折半です。■「本当の親ではないからこそ言えることもある」 何があっても娘の最強の味方であると決意――FtM、トランスジェンダーであるAOさんは、周囲の家族や親になっていく同年代の友人たちなどを見て、お子さんがほしいという感情が出てきたことはあったのでしょうか?【AO】自分の子どもがほしいと思ったことは一度もありませんでした。周りの友達を見てもその感情は湧かなかったです。自分が家族を持つなんてビジョンが少しもなかったし、それを望んでも自分には不可能だと子どもの頃から悟っていた部分もありました。自分のセクシャリティについても誰にも話せなかったので、墓場まで持っていく秘密で、一生独りで生きていくんだと覚悟は決めていました。――「親になることの素晴らしさ」や「子どもが自分に与えてくれる影響」をAOさんはどう捉えていますか?【AO】ただただ存在してくれているだけで幸せです。子供の顔を見たり会話をしたりするだけで、本当にどんなに辛いこともどうでもよくなります。FtMである僕は、シス男性に対して劣等感やコンプレックスをどうしても抱いてしまうのですが、パートナーや娘が僕を父親のような存在として頼ってくれることによって、一人の男性としての自信は確実につきました。これは独りで生きていては到底得られなかった感覚だと思っています。――パートナーのママさんは、AOさんと娘さんの関係性についてどのように感じていると思いますか?【AO】パートナー曰く、「私はAOくんに娘の父親になってほしいと思ったことは一度もない。それを決めるのは娘だから。でも、AOくんは自然と娘に愛情を持って私と同じ気持ちで接してくれている。それだけで十分。ここまで2人の関係がうまくいっているのは、AOくんが私のことをすごく大切にしているのが、娘にも伝わっているからだと思う」だそうです。――AOさんは、娘さんにとってどのような親でありたいと考えますか?【AO】娘に自分のことを父親だと思ってほしいと考えたことは一度もないです。だから、どのような親でありたいかなんておこがましいとすら思ってしまいます。ただ、僕は自分の親に自分のセクシャリティの悩みや将来の不安や孤独感を話せなかったし、話したら否定されるのが目に見えていました。そのことに長年苦しんだので、娘にはなるべくそういう思いはさせたくない。僕は本当の親ではないですが、だからこそ言えることもあると思うので、何があっても何もなくても、絶対に最強の味方であろうと思っています。
2024年05月02日春はどこへ…というほど、すでに夏モードな現在。このゴールでウィークも日差しは強く、早急な対策が必要です。最近では、紫外線の悪影響が広く知られ、1年中日焼け止めを塗る人、日傘や帽子、マスクにアームカバーなど、完全防備している人も増加。ただ、夏は屋外で遊びたい人も多く、そもそも「日光って健康に欠かせないのでは?」と疑問に思う人もいるでしょう。日焼け対策のホントのところについて、皮膚科専門医の圓山尚先生(クリニックフォア新橋院院長)に聞きました。■日焼けには完全防備がマスト? 免疫や骨密度、睡眠に日光浴は必要じゃないの?――日焼けが肌によくないことは知られていますが、一方で、ビタミンDやセロトニンの生成には日光浴が効果的とも聞きます。いったいどうしたら?「ビタミンDは骨代謝に関わり、骨密度を増加させるために欠かせないものです。さらに、コロナ禍には免疫にも関与するということで、重要性が再認識されました。一方、セロトニンは精神の安定や質のよい睡眠に関わる神経物質。どちらも日光を浴びることで生成および分泌されるため、日光浴が必要と言われています。ただ、日焼け対策を徹底することでビタミンD欠乏症になる…という話は聞いたことがないので、あまり気にしなくてもいいと思います」――完全防備しても健康には問題ないのですね。では日焼け止めは、いつ頃から塗るべきですか?「最近では1年中塗ったほうがいいという情報をよく目にすると思います。もちろんそれでもいいですが、12月から3月くらいは紫外線が弱いので、それほど心配しなくてもいいと思います」――多くの種類が市販されていますが、どう選ぶべきでしょう?「かつて日焼け止めの成分には、紫外線を反射させる紫外線錯乱剤と、紫外線を吸収する紫外線吸収剤の2種類がありました。でも吸収剤は、ケミカル成分によってアレルギーなどの肌トラブルを起こす方もいて、最近は使われていません。もう一方の紫外線錯乱剤は反射させるだけなので、肌に負担がかかりにくいメリットがあります。ただし、原料が白い粉なので、たっぷり塗ると白浮きしてしまう場合も。お化粧に影響するようであれば、日中の紫外線の強い時期だけ使って、朝晩や秋冬の紫外線の弱い時期は少しマイルドなタイプの日焼け止めを使用するといいでしょう」――では、日焼け止めのSPFとPAについては?「どちらも紫外線を防御する数値なので、基本的には値が大きいものを選んでおけば間違いありません」――効果的な日焼け止めの塗り方を教えてください。「クリーム状に出るタイプの日やけ止めは、パール粒 1 個分、液状にでるタイプは、1 円硬貨 1個分を手のひらに取ります。額、鼻の上、両頬、アゴに分けて置き、そこからまんべんなくていねいに塗り伸ばす。そのあともう一度同じ量を重ねづけるやり方を推奨します」――黒い服は紫外線をカットしやすいと聞きました。黒以外の服を着る場合は、服の下にも日焼け止めを塗るべきですか?「服を着ることで紫外線が直接肌に当たることは避けられるので、服の下に塗る必要はありません」■日焼け後トラブルは皮膚科に行く? それとも美容皮膚科?――では最後に、日焼けしてしまった後のケア方法を教えてください。「日焼け止めを塗っても、日光の下にいたら多少は日焼けをしてしまうと思います。気になる場合は、速やかにパックや炎症を沈めるスキンケアを施してください。冷やすことと、その後の保湿が重要です。皮がめくれたりヒリヒリしたり、症状がひどい場合は皮膚科を受診してください」――そうしたトラブルは皮膚科なんですね。美容皮膚科というのもありますが、そこは治療の仕方が違うのですか?「日焼けによる障害は、日光に当たった直後に皮膚が赤くなり(サンバーン)、皮膚の赤みが消失した後に黒くなります(サンタン)。最初の赤くなっている時期に、ヒリヒリして、シャワーを浴びると痺れるような状態でしたら、薬を塗って炎症を抑える必要があります。その場合は皮膚科を受診してください。さらにその後、色素沈着して黒ずんでしまったという場合は、皮膚科でも美容皮膚科でもどちらでもOKです。基本的に、飲み薬で全身のトーンアップを目指します」【監修】圓山 尚(えんやまたかし)クリニックフォア新橋院院長。金沢医科大学医学部卒業後、日本医科大学附属病院皮膚科に入局し皮膚科・皮膚外科・レーザーを中心とした診療を行う。その後、湘南美容クリニックでの勤務を経て、2019年にクリニックフォア新橋院を開院。(文:河上いつ子)
2024年04月30日女性活躍・ダイバーシティと言われていても、「仕事か家庭か」の選択肢を迫られるのは、女性が多いのが現実です。結婚後も女性は、妊活、家事育児との両立、産休・育休後の職場復帰など悩みが尽きません。積み上げたキャリアを維持するのか、手放すのか決めなければならない局面で、どのように考えるとよいのでしょうか。36歳の時には楽天グループにおいて最年少の執行役員になるなど華々しいキャリアを歩むCMOの河野奈保さんも、ライフステージが変わっていく同世代を見て“35歳の壁”や“適齢期”という言葉に縛られ考えていたと言います。その後40歳を過ぎて結婚・出産。人生観を大きく変える決断でした。それぞれのライフステージをどのような考えで過ごしたのか、話を聞きました。■仕事中心で駆け抜けた20~30代、「結婚・出産への不安は少なからずありました」28歳で楽天市場のモバイルサイトを立ち上げるための事業責任者に指名され、リーダー、副部長、部長と昇進。36歳の時には最年少の執行役員になるなど、順風満帆に昇進した河野奈保さん。楽天市場内のモバイル事業の責任者となって150人の部下をマネジメントし、悩みながらも事業拡大を推進し成功を収めるなか、プライベートでは早期に結婚・出産していく同年代の女性たちを見て、つい比べてしまう自分がいたと言います。「一番悩んだのは20代の最後をどう暮らすのか、でしたね。学生の頃は子どもを早めに産んで、友達みたいな関係で子供と一緒に成長する…そんな自分を思い浮かべていたので、同年代の友人が結婚・出産していく中、その流れにのれない自分についてふと考えてしまうこともあれば、適齢期という言葉にがんじがらめになっていたこともありました。30代を超えると『35歳の壁』、妊娠・出産適齢期の壁があることに不安を感じていました。 結婚や出産は自分ひとりの選択肢ではないにも関わらず、『こうありたい』と自分で変にレールを引いてしまう。それでがんじがらめになって、苦しんでいた時期もあったと思います」今では社内の重役たちが集まる会議で、どんなに重たい議題であっても、河野さんの発言によって「ポジティブに対処することができる」と評されるほど、常に朗らかな河野さんですが、実は物事をネガティブにとらえてしまうクセが過去にはあったと言います。「仕事でもプライベートでも、昔はマイナス面に目を向けてしまいがちで、自分のネガティブ思考を切り替える方法を模索していました。ポジティブシンキングについて学べる本は複数冊読んだと思います」。その結果、「仕事でもプライベートでも、人生を楽しむのって自分の考え方次第だな、という感想が残ったんです」と河野さん。40歳で常務執行役員になるなど順調にキャリアを積み上げていき、周囲から「働く女性の代表」や「楽天で働く女性の代表」として見られる機会も増えていきました。そのなかで家庭を持つ自分はなかなか想像できずにいたと言います。「当時の私が一番大事にしていたのは、『自分がどうありたいのか』という軸をしっかり持つことでした。ライフステージが変わっていく友人たちを見て比べるのではなく、自分に素直になること。一歩一歩しっかりと歩んでいくことしかないと意識を変えました。割り切って考えていたので、40代を迎えた頃には、正直、子どもがいない人生もありだなと思っていました。子どもを育てることだけでなく、仕事できちんと自分らしく生きて社会に貢献することも、人として十分価値があると思っているからです」。■ライフステージに大きな影響を与えた“母の介護”人生観が変わり、家庭を持つことも視野にその考え方に今も変わりはないですが、「家族があってこそ、仕事に打ち込める」と河野さんの意識を変えるきっかけとなったのが、40歳を迎え経験した“母親の介護”でした。「私が40歳になったころ、母が癌だとわかったんです。一緒に病院に行き、そこで告知されたときにはステージ4。余命何ヵ月とは明確に言われなかったですが、明らかにもう最終ステージだというのがわかりました。その時に私が仕事に100%の力を注いでこられたのは、家族が元気でいてくれたからであって、何も心配することなく仕事と向き合えた自分は恵まれていたんだと気づきました」昼休みに抜け出して病院へ通い、仕事帰りにも病院へ。良い治療法がないかと探し、仕事中も母の病気のことを考えてしまう日々。精神的にも肉体的にも追い込まれる厳しい状況だったと言います。「この経験は、私の働き方に大きな影響を与えた出来事でした。ガムシャラに働いていた私を支えてくれていたものにあらためて気づくことができた…人生に対する価値観がガラリと変わった瞬間でした」。河野さんはお母様が亡くなった後、結婚と出産を経験。「何よりも自分の人生に寄り添ってくれる人を大事にしたいと考えました。当時を思いだすと涙が出てくるほど、私にとって大きな存在だった母がいない寂しさを、今は夫や子どもが補ってくれています。学生の頃に思い描いていた『子どもと一緒に成長していく関係』ではないけれど、親が歩んできた道をたどる経験ができています。子どもを見て可愛いなぁと思った瞬間に、母もそう思ってくれていたのかなと想像してみたり…。子育てを通して母の気持ちを追体験することができて、悲しさと楽しさですごく充実しているというのが今の状態です」。■「早く会社に戻りたい人の支援にも目を向ける」、社会における育児支援のあり方と課題40代で家庭を築き、「仕事と家庭の両立」を迫られるようになった河野さん。出産予定日の1週間前まで勤務し、出産後は6週間で会社に戻り、復帰1日目からフルタイムで働いたといいます。河野さん自身、「そのような働き方を推奨するわけではない」と言いながら、そこまで早く復帰したのはなぜだったのでしょうか。「子どもと向き合うためにも、まずは”自分らしく”あることが大事と考えたときに、早く社会復帰したほうがいいとなりました。何十年もずっと仕事をしてきた人生だったので、6週間だけとはいえ仕事から離れた時に自分がわからなくなったんです。自宅で子どもだけと向き合うことを続けていたら、私の場合は産後うつになっていたかもしれません。むしろ、社内にある託児所『楽天ゴールデンキッズ』は0歳児からの受け入れが可能なので、子どもが生後 8 週で入園したことで、子育ての相談をすることもできました。それが私にも子どもにとっても大きな支えとなりました」河野さんはさらに、“女性の選択肢を広げること”にも目を向けたいと話します。「休みたいと言ったら休める、子育てに集中したいといったら集中できるように。一方で会社に戻りたいといったら、本当に戻れるのか。長く休みたい人の選択肢はどんどん広がっているのに対し、早く戻りたい人を支援できる環境は多くは語られていない課題があることも感じました」。急な早退やお休み、保育園・幼稚園のお迎え。復帰後は働く上で、様々な制限がかかります。河野さんもお子さんが幼稚園に入園した際に言われたことが「他のママは早くお迎えに来るのに、なんでママだけ遅いの?」ということでした。「会社でも大変な思いをして、慌てて走って迎えに行っているのに、それでも遅いと言われてしまう。でもそういう時こそ、子どもとしっかり話をすることにしています。目線を合わせて、『ママはこういう仕事をしていたから今日は遅くなって、明日は早く帰って来てほしいというけれど、明日も遅いの。でも、明日行ったらその後は2日間お休みなんだよ。そのとき何をしたいか考えておいてね』と一所懸命説明するんです」。これは、働く親であれば誰しもが経験したことかもしれません。とにかく今は家族で一緒に走り続けようと、河野さんは「子どもが寂しがったら話し合うことを徹底しています」と話します。「ある時、子どもを預けた後に、『ね、うちのママ、かっこいいでしょ』と先生に言ってくれたみたいで、聞いたときは胸が熱くなりました。子どもに寂しい思いをさせているだけじゃない、カッコイイと思ってくれている部分もあるんだな、と。割り切って色々な人の手を借りながら育てていくことも、正解のひとつなんじゃないかと思っています」■自分らしく生きるためには、“ワークライフバランス”より、“ワークライフインテグレーション”仕事にまい進してきた20代30代。40代で訪れた結婚・出産。これらの経験を経て、河野さんは女性が自分らしく生きるためには「頑張りすぎないことも大切」だと思い始めたといいます。「子育てってサステナブルじゃなくてはいけなくて、持続可能なライフスタイルであることに加え、精神状態も安定していないといけません。そのためにも無理をしないことが大切で、その時の自分のやりたいことを、ちゃんとやり続けるのが大事じゃないかと思います。これは私の考えではあるんですが、ワークライフバランスという言葉があるために、子育てと仕事のバランスに悩む方も多いと思うんです」そんな河野さんの推奨する考え方は「ワークライフインテグレーション」。仕事とプライベートを分けて考える「ワークライフバランス」と違い、「ワークライフインテグレーション」は、仕事もプライベートも生活の一部であり、両方が充実することで人生が豊かになるという考え方なので、無理にバランスを整える必要がなくなります。「私は、仕事と家庭どちらかではなくて、双方の相乗効果で頑張っていきたいと思っているので、バランスを取ることに負荷をかけて、ストレスにしないほうがいいんじゃないかと思っています」積み上げたキャリアを維持するのか、家庭のために手放すのかではなく、両方とも自分の生活の一部と考え、相乗効果を狙う…これを実現するには、本人の意識に加え、周りの環境も必要なため、一朝一夕で叶うものではないかもしれません。ただ、いずれのライフステージでも、河野さんが大切にしてきたのは「自分の考えをしっかりもって、一歩一歩進むこと」。既存の考え方や理想像にがんじがらめになることなく、「自分は何をしたいのか」を見つめ直し、「その時やりたいと思ったことをきちんと続けること」、それが後悔しない選択肢を選ぶためのヒントなのかもしれません。取材・文/森下なつ
2024年04月30日兄嫁と姑が目隠しをしながら、必死に棒叩きと防御を繰り返す動画が話題に。「幸せなら手を叩こう」の曲に合わせて、容赦なく戦いに挑む2人の姿に、「こんなに仲のいい嫁姑になりたかったです。うらやましい」「仲良くないとできないやつ」「いい関係だなぁ。ほっこり」などと、大きな反響が寄せられました。このゲームをすることになったきっかけや普段の嫁姑の関係性などについて、投稿者のしゅんさんに話を聞きました。動画には「兄嫁VS姑」というタイトルがつけられ、目隠しした状態でおもちゃの棒を持つ嫁と、防御できるようミットを構える姑。そこに「幸せなら手を叩こう!パン!パン!」というBGMが流れ、「パン!パン!」の音に合わせて、おもちゃの棒で姑を叩く様子が収められています。姑は叩かれないようにミットを素早く移動させ、嫁の攻撃を防ごうとしますが、最初こそできたものの予測がことごとく外れはじめます。兄嫁は容赦なく姑にクリーンヒットを何度もお見舞い!2人ともケラケラと笑いながら楽しそうにこの戦い(ゲーム)に挑む姿に、「サイコー!容赦ないのがよき」「幸せになった」「嫁さんストレス発散!でもゲームだから恨みっこなし」とコメントが寄せられ、592万回再生されました。「姑の逆襲」という動画では姑が攻める立場になり、しっかり仕返しを決められるかと思いきや、ゲーム終盤に姑が棒を落としてしまうハプニング…。目隠しをしているためすぐに棒を見つけることができず、『千と千尋の神隠し』に登場する釜爺のような姿となって棒を探し続けるお茶目な姿も披露しています。この2本の動画の投稿者・しゅんさん(@shunsukekawamura2)によると、そもそもは「家族でおもしろい動画を撮りたい」と話し合っていたときに、目隠しで叩き合う動画を見つけて「やってみよう!」と挑戦する流れに。遠慮なく叩き合える嫁姑の関係性について、「私たちは奈良の田舎育ちなので、今の時代にはない考え方を持っている部分もあると思います。近所の子どもたちに対しても自分の子どものように接するので、それと同じように母も兄嫁に対しては自分の娘のように接しています。また、兄嫁もそれを受け入れていると感じます」と語ってくれました。仲の良い嫁姑の関係を羨む声が多く見られますが、関係性を保つ秘訣はいったい何なのでしょうか?「毎日騒がしくおもしろい家庭で育ったので、正直よくわかりません…。ただ、家族というものは楽しいものだと私は思っています!」
2024年04月29日Googleをはじめとした大企業にも取り入れられ、今やトレンドとなっている「マインドフルネス瞑想」。「仕事や人間関係でストレスが溜まっている」「意識が分散して集中力が続かない」など、さまざまな症状を軽減し、心身をリフレッシュできるとして、瞑想できる場所に通う人は年々増えています。しかし残念なことにそれを指導する団体は玉石混交。個人間で話をするときは未だに「怪しい」壁を越えられない課題感も。そもそもなぜ、「怪しい」と感じるのか。科学的でありフィットネスにも通ずる「マインドフルネス」の考え方や怪しい瞑想の見極め方を脳神経内科医の山下あきこ氏に聞きました。■懐疑的な印象のある「瞑想」、なぜ怪しいイメージが作られた?「マインドフル」とは、「気を配る」「意識している」という意味。その言葉に接尾語の「ネス」をつけた「マインドフルネス」は、「今の自分に意識を向ける」状態を意味する造語で、アメリカの医学博士のジョン・カバットジンが考案したものです。博士がわざわざ新しい言葉を作り、世に提唱したきっかけは、その状態に到達する手段として行われるのが「瞑想」であったため、「怪しい」「宗教的」等、懐疑的にとらわれてしまうことを避けるためだったと山下氏は解説します。「1970年代の初め頃、瞑想やヨガを行うと集中力が高まり、クリエイティブになることを実感したジョン・カバットジンは、その理由を科学的に証明しようと研究を始めました。結果、瞑想によって得られるメリットは、宗教でもスピリチュアルでもなく、科学的根拠のある手法だということが明らかとなり、そのことを医学界から広めるために、マインドフルネスセンターを立ち上げ、普及に努めたのです」60~70年代にかけては、日本はもとよりアメリカでも瞑想は「怪しい」ものとしてとらえられがちだったというわけですが、博士の取り組みからもわかるとおり、その理由はひと言、「科学的根拠を示せなかったから」と山下氏は断言します。「極端な例をあげるなら、がんになったとき、医学が発展する以前は、神社や寺に行って祈祷し、『治りますよ』と言われたら、それを信じていました。このように、神様仏様の言うことを信じていた時代から、科学的な裏付けがあるものでなければ信じられないという風潮に人々の意識が変わってきたことから、逆に宗教的なものは怪しいというフィルターがかけられてしまったのだと思います」かつては科学的根拠がなかったためにスピリチュアル的なものとして見られていた瞑想も、科学的な裏付けをされたことで、アメリカではれっきとした治療法となりました。広まる大きなきっかけとなったのは、2007年にGoogleがマインドフルネスのプログラムを立ち上げ、研修に取り入れたことでした。その後、世界に名だたる大企業をはじめ、多くの企業が採用。さらに、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズ、大谷翔平選手やイチロー選手など、実践を公表する著名人も現れ始めました。■年間1300本以上の論文で科学的効果も立証、人間関係の向上から老化、肥満の原因まで対処では、実際、どのような効果が科学的に立証されているのでしょう。「脳には一般的にデフォルトモードネットワークと言われているネットワークがあって、数カ所の部分が相互に情報のやり取りを繰り返し、いつでもパッと動けるようなアイドリング状態を作っています。常にぐるぐる思考が回っている状態なので、かなりの疲労を生んでいるのですが、瞑想をすると、前頭葉部分が活性化し、デフォルトモードネットワークの働きが下がって、脳が過剰なエネルギーを使わなくて済むようになり、疲労が取れます。前頭葉には”人間らしさ”を司る機能も集まっていますので、活性化させることによって、他人に対して共感性や思いやりなどが持てるようになり、人間関係の向上にもつながります。さらに、瞑想によって新しい記憶を司る脳の海馬の容量が増加することも証明されています。また、瞑想を長時間続けた人は、ネガティブな感情を拡散させる働きを持つ扁桃体が小さく、ネガティブな感情から早く回復でき、キレる状態にならず冷静に対処する力が備わることも明らかになっています。遺伝子においても、心筋梗や脳梗塞、肥満、老化などの原因になるRIPK2という遺伝子の活動が長時間瞑想することで下がるという結果もあります」中でも内科医の山下氏が強調するのが自律神経への働きです。「緊張していると交感神経が働き、その状態が長く続くと、不眠や高血圧、冷え性、腰痛、胃潰瘍の原因になります。現代人は交感神経を働き過ぎにさせないことで病気をコントロールすることが大事なのですが、瞑想を行うと、交感神経とリラックスしているときに働く副交感神経とがシーソーのように良いバランスを保てます」今や効果を証明する論文が年間1300本以上も発表されているほど、科学者から注目されている瞑想ですが、それでも日本においてはまだまだ研修に取り入れることを敬遠する企業は多く、「マインドフルネスの正しい理解が知れ渡っていないと実感している」と山下氏は語ります。■「怪しいものを採用したくない」受け入れる企業側の課題も実際、研修を行うにあたり、未だ「怪しい」を懸念する企業側の姿勢を感じることは多いそうです。「講演を依頼され始めた初期の頃、瞑想を始める際に、心が穏やかになる効果があるかなと思い、仏具のおりんを鳴らしたことや、最後に『世界中の人が幸せになりますように』と言ったりしたことがあったのですが、企業さんからNGを出されることも(苦笑)。企業研修の担当の方は怪しいものを採用したと思われたくなかったのだと思います。マインドフルネス瞑想に対しては、やはりまだ拒否感を持っている人も多いと感じているので、今は、私のセミナーやサロンで学びたいという人以外には、科学的な根拠を示しながらお伝えできるコアな部分だけを伝えるようにしています」イメージ払拭のために、日本の医療現場の変化にも山下氏は期待します。「ヨーロッパではマインドフルネス瞑想に保険がきくところが多いですが、日本は適用できません。心理療法のひとつとしてなら適用させようと思えばできるのですが、検査や薬の保険点数が高い日本では、それらの診療が重視されてしまうんです。マインドフルネス瞑想を実施すると体にとってメリットがあるということが、医療現場で保険点数という形で現れるようになれば、もっと怪しいというイメージが払拭され、信頼を得られ、広がりやすくなると思います」さらに、教育現場に向けてもこんな提案をします。「イギリスでは、ドットビー(.b)という中高生のためのマインドフルネスプログラムがあり、9週間かけて、学校でその意義や方法を学びます。情報過多でストレスの多い現代、日本でも、教育にぜひ取り入れてもらいたいです」■マインドフルネスは“ゴールを決めない”、「短期間で効果が出ると言う指導者には注意が必要」日本では、現在、瞑想の指導者は玉石混交。そのことが、怪しさを払拭できない大きな要因となっているともいえますが、どうやって見極めたらいいのでしょう?「ひとつの指標として、マインドフルネスストレス低減法のMBSR(Mindfulness Based Stress Reduction:マインドフルネスストレス低減法)というものがあります。世界中の医療機関、福利厚生機関、教育機関、会社経営の現場等で、広く活用されているもので、人に教える際に厳格に料金も決められています。このプログラムの指導者資格を持っている人であれば、信頼できると考えてよいでしょう。あとは、マインドフルネスの効果についてどのように発信しているかということもチェックしましょう。マインドフルネスは、1回やれば変わるなど、すぐに効果が出るものではありません。短期間で効果が出ると言う指導者には注意が必要です。むしろマインドフルネスの考え方は、効果を求めない、ゴールを決めないということなのです。MBSRを開発したジョン・カバットジン博士は、マインドフルネスの定義を『評価しない』としています。”今の自分に意識を向けることを意図”し、”評価をしない”。そして”あるがままを受け入れる”。この3つがマインドフルネスのポイントです。決してゴールを決めてそれを達成するために行うものではないということを覚えておいてください」最後に簡単にできるマインドフルネス瞑想を教えてもらいました。「5分から20分静かな瞑想時間を取るのがよいのですが、なかなかそういう時間はとれないし、毎日続けられないと思います。その場合は、食事の際、最初のひと口を口に入れたときに、目を軽く閉じてみて、味に意識を集中する。また、休憩時間にコーヒーを飲むとき、資料を見ながらではなく、コーヒーをひと口飲んだら軽く目を閉じ、コーヒーの香りが口の中から鼻に抜けて、喉を通っていくようすに意識を全集中させる。これだけで脳が他のものから遮断されてリセットされ、マインドフルになれます」東洋では仏教において3000年も前から行われていた瞑想。それだけに宗教的なものとしてとらえてしまう人も多いかもしれませんが、「宗教」でも「スピリチュアル」でもない「マインドフルネス瞑想」の意義を理解して、ストレスや不安を取り除き、心身の健康を得るためにメソッドとして、気軽に取り入れてみてはいかがでしょう。PROFILE/山下あきこ医療法人社団如水会今村病院副理事長株式会社マインドフルヘルス代表取締役脳神経内科医として診療を行う傍ら、健康を自分で作る社会を目指し、アンチエイジング医学、脳科学、マインドフルネス、コーチングを取り入れたセミナーやサービスを提供している。YouTube、ウェブ講座の配信や、オンラインイベントの主催も手がける。
2024年04月29日「私の背中は大きいだろ、彼女がゴリラで良かったな」というコメントともに投稿された、車椅子ユーザーの移動方法が話題に。車椅子の彼氏の前に立ちはだかる階段があっても、彼女が彼氏をおんぶして階段を上り、目的地の屋上デッキまでスマートに連れて行く。2人で支え合いながら一緒の景色を楽しむ姿に「最高な関係で素敵過ぎます」「大切な人同士助け合う姿は美しいよ」「なんか涙出た」と多くのコメントが寄せられています。一方で「そんな対応ができるのは、若い時だけ」「この先どうする?」と心無い声も届いているそう。2人はお互いをどのような存在ととらえ、どんな未来を思い描いているのか?投稿者の彼氏の車椅子を押すのは私だけさんと彼氏さんに話を聞きました。■「今しかできないことを全力でやりたい」車椅子の彼氏をおんぶする彼女の想い彼氏の車椅子を押すのは私だけ(@hennahitoooo_)というアカウントで、日常を配信しているお2人。7年前に脊髄損傷で車椅子となった彼氏さん、体育大学出身で体力自慢の彼女さんとの微笑ましいやりとりが魅力で、「車椅子でも手をつないで歩ける」「一緒に人力車に乗れる」と2人で様々なことに挑戦。周囲の協力を得ながらできること・できないことの現状をポジティブに発信していて、「2人の人柄が善意を呼ぶのだろう」「これからも2人の生活を楽しんでほしい」と温かい声が寄せられています。――付き合ってどのくらいが経つのですか?【彼女さん&彼氏さん】付き合って1年弱になります。出会いはマッチングアプリで、マッチしてからすごく楽しいやり取りが4ヵ月程続き、実際に会うことになりました。そこでお互いに一目惚れをし、何回かデートを重ね、出会って2週間後に付き合い始めました。――展望デッキに行くためにスロープのない階段を移動しなければならなくなった時、体力自慢の彼女さんが彼氏さんをおんぶして階段を上がる動画は174万回再生されて様々な反響があがっていました。どう感じていますか?【彼氏さん】まさかこんなに反響があるとは思わず、驚きと嬉しさが一番でした。多くの人が彼女のことを「かっこいい」「すごい」「感動した」と言ってくださってとても嬉しかったです!同時に、日々たくさんのことで助けられていると改めて気づきました。より一層感謝の気持ちと大好きな気持ちが大きくなりましたし、彼女とならどんなことも一緒に乗り越えていけると感じました。【彼女さん】このおんぶの動画は思い出のつもりであげたので、まさかこんなに多くの人に見てもらえるとは思っていなかったため、嬉しい気持ちがほとんどです。ただ、中には悪いコメント(もう消されているけれど)もあり、複雑な気持ちもありました。――確かにそうですね。「若い今だからできる」というコメントも見られましたが、どう受け止めましたか?【彼氏】年老いたらできなくなるのは自分たちもわかっていて、だからこそ今できることを全力で楽しんでいるという気持ちです。年老いたらそのときにできることを全力で楽しむつもりですし、老いたからこそできることもあるだろうし、未来も大事だけど今を大切にするべきだと感じました。【彼女】その通りだと思うし、重々承知もしています。逆に、若い今だからこそおんぶやお姫様だっこができるので、今しかできないことを全力でやりたいし、おんぶしていろいろなところを周ることを楽しんでいます。歳を取ったら取ったで、そのときはヘルパーさんに頼んだり、バリアフリー完備の施設に遊びに行ったり、年相応のことをするようにします。■「車椅子ユーザーとの暮らし、困り事や壁がどのようなものかを知ってもらえる機会になれば」――お2人はどういった場面で、お互いの存在をより強く認識しますか?【彼氏さん】自分は歩くことも難しく車椅子なので、物理的に困難なことに当たるときがあります。そんなときに彼女は率先して車椅子を押してくれたり、段差を上げてくれたり、上にあるものを取ってくれたりとたくさん助けてくれます。さらに、旅行に行く際などは、車椅子でも一緒に楽しめるようなプランを楽しそうに計画してくれるので、日常の中で支えられていると感じる場面がたくさんあります。【彼女さん】私は彼に心を支えられています。辛いことがあったときや仕事の繁忙期で疲れが溜まっているときなどに、家事を変わってくれたり甘いものを買ってくれたりと些細なことから大きなことまでいろいろと支えてもらっています。あと、私は背が高く、買い物で何かを探しているときに陳列棚の下のほうを見落としてしまいます。逆に、彼は上の方を見ることができません。そういうときに上と下の担当を決めながら探せるので、探し物が見つかりやすくていいコンビだなと感じます。――彼氏さんは、おんぶしてくれる彼女さんの行動や背中を見て、どのようなことを感じますか?【彼氏さん】すっごく頼りになるし安定感もあって、いつも安心して乗っかっていますし、くっつくこともできるからめちゃくちゃ嬉しいといつも思っています(笑)。あと、いつもより高い景色が見られて、おんぶされている間は彼女と一緒の目線で楽しめるので、そこも嬉しいです。――「彼氏の車いすを押すのは私だけ」というアカウント名にも覚悟を感じます。なぜこのアカウント名にしたのですか?【彼女さん】インパクトのある名前にしたいと思い、遊び心半分、覚悟というよりは「私以外には押させない」みたいな独占心半分でこの名前にしました。発信していくことで、車椅子ユーザーとの暮らしがどんなものか、車椅子ユーザーの困り事や壁がどのようなものかを知ってもらえる機会になればいいなと思っています。――24年4月から「合理的配慮」が義務化されましたが、実際は環境の整備もままならない部分も。ご自身ができること、周囲のサポートも踏まえて、どういった考え方が必要だと感じますか?【彼氏さん】感謝の気持ちを忘れないことが一番必要だと思います。サポートしてもらえるのが当たり前、配慮してもらえるのが当たり前なんて考えは絶対にダメだと思います。障がい者も健常者も、お互いに思いやりを持てれば、みんなが過ごしやすいバリアフリーな社会が実現できるのかなと思います。【彼女さん】やってもらって当たり前と思わないこと、サポートを受けたらしっかりと感謝する気持ちを持つことが大切だと思います。「合理的配慮の義務化」についての動画やポストはよく見かけますが、批判的なコメントも多く見られます。「合理的配慮については対話が必要」と内閣府のリーフレットにも書いてあるため、まずは話し合うことが大切だと思います。もちろん言い方の問題はありますが、障がい者の方はなんでもかんでもやれと言っているわけではなく、こうなってくれたらいいなという気持ちもあると思うので、事業者やほかの方も否定から入らずにまずは話し合いをし、お互いの理解を深めることが必要だと思います。――今後はどのような関係性になっていきたいですか?【彼氏】一生一緒に添い遂げる関係性になっていきたいです!楽しいことや幸せなことは2人で分かち合い、壁や困難は2人で一緒に乗り越えていく。そんな未来を描いています。【彼女】医療の研究が進み、神経の修復が可能になり、彼がもう一度歩けるようになったらそれはとても嬉しいです。治らず車椅子生活が続いたとしても、今と変わらず仲良しで、健康第一で、平和な日常を過ごしていけたらいいです。
2024年04月28日プチプラからデパコスまで、百花繚乱のスキンケア商品。肌に効くものを選びたいけど、できれば安く済ませたいと、チョイスに頭を悩ませる人も多いのでは? そもそも、メイク落としから洗顔料、化粧水、乳液、クリーム、美容液などなど、スキンケアに必要とされるアイテムの中でいったい何に一番お金をかけるのが正解なのか。お財布に優しく賢いスキンケア商品の選び方について、皮膚科専門医の圓山尚先生(クリニックフォア新橋院院長)に教えてもらいました。■スキンケアで絶対必要なのは2種類? 洗顔料にお金をかける意味ナシ?――ズバリ、日頃のスキンケアで一番お金をかけるべきアイテムは、何でしょう?「これが一番と言えるものはありませんが、化粧水の後につけるアイテムとして、乳液・クリーム・オイルを全部揃える必要はありません。というのも、肌は内部に水分があって、その表面の皮脂膜が内部に水分を留めています。ですから、お手入れではまず『モイスチャライザー』と言われる化粧水などのアイテムで皮膚に水分を与えること、次に『エモリエント』と言われる乳液やクリームなどの油の成分で蓋をすることが重要。最低限、『モイスチャライザー』で1つ、『エモリエント』で1つを揃えておけばOKです」――ちなみに、「洗顔は美肌にとって最も重要」と言う人もいれば、「朝は洗顔料で洗わない方がいい」と言う人もいます。洗顔料はどうなのでしょう?「洗顔料を使うと毛穴のつまりは取れやすいですが、必須というわけではありません。肌にトラブルのない方で、メイクをしていない状態でしたら、35度くらいのぬるま湯で洗うだけでいいでしょう。とくに冬場など乾燥する時期は、洗顔料によって皮膚の油分を取り過ぎてしまい、肌が突っ張ってしまう症状を訴える方も多いので注意が必要です」――洗顔料は高いものから安いものまであります。「美容成分や抗酸化作用のある成分など、様々な成分を配合した洗顔料が市販されています。でも、基本的には汚れを落とすためのものなので、何かを肌に浸透させる役目は必要ありません。むしろ、洗顔料には界面活性剤など石鹸の成分が入っていて、すすぎの際にほとんどの成分は流れ出てしまいますので、そこにお金をかける意味はないでしょう」――ドラッグストアやスーパーで販売されているプチプラコスメと、デパートで販売されるデパコスなどの高級化粧品は、やはり値段の差の分だけ効果が違うのでしょうか?「そうとは言いきれないと思います。デパコスは香りや使用感、高級感のあるデザインの容器など、肌への有効成分以外で価格が高くなっている面も。今はドラッグストアで手に入る化粧品でも、いいものはたくさんあります。例えば、ビタミンCは濃度に応じて期待できる効果が高くなりますが、10%くらいのものであればドラッグストアで簡単に手に入りますし、中には25%くらいのものもあります。ただし、濃度が高めなものはピリピリするなど刺激性があるので、使用感を確認することが必要。また、ニキビに悩む方向けにも、毛穴の詰まりを作らせないノンコメドジェニックやアルコールフリーの商品がプチプラで揃っています」――すべて同じデパコスブランドのラインで揃えるのと、コスパを考えて「美容液は高いものを、洗顔料は安いものを」というようにカスタムするのでは、どちらが肌に効果的ですか?「シミやシワなど、悩みによって効果的な成分は変わります。美白も含めていろいろな美容成分を取り入れたほうがいいと思うので、その意味ではカスタムしたほうがいいかもしれません。というのも、とくにデパコスの場合、ビタミンCに特化したラインや、かぶれやすい人専用の炎症を抑える成分に特化したラインなど、各々特長を打ち出していて、それ以外の美容成分は少ないケースが多くあります。1ブランドだけに限ると、実は足りないものが出てくる場合があるんです」――なるほど、たしかにそうですね。「ただデパコスの場合は、同一ラインで使用すれば肌トラブルが起きないようチェックして作られていますが、別ブランドのものと合わせた場合、双方が刺激が強いタイプだと、肌荒れなどトラブルが起きる可能性も。そこは注意が必要です」――では、デパコスですべてが揃わなくても、プチプラで美白成分だけ、保湿成分だけ…と補うことも可能と。たとえば、どんな成分を意識するといいでしょうか?「よく、『肌にはコラーゲンがいい』と思われていますが、コラーゲンにこだわる必要はありません。そもそも、コラーゲンは分子量が大きすぎて肌に浸透しない。皮膚の表面に乗せることで、もっちりした感じにはなりますが、肌内部への効果はありません。それよりも、油分のある乳液やクリームで、保湿した後の肌にしっかり蓋をしてあげることを優先したほうが美肌のためには効果的です」(文:河上いつ子)【監修】圓山 尚(えんやまたかし)クリニックフォア新橋院院長。金沢医科大学医学部卒業後、日本医科大学附属病院皮膚科に入局し皮膚科・皮膚外科・レーザーを中心とした診療を行う。その後、湘南美容クリニックでの勤務を経て、2019年にクリニックフォア新橋院を開院。
2024年04月24日83kgから56kgへ、27kgのダイエットに成功し、まるで別人のような変貌を遂げた女性がTikTokで話題を集めています。投稿者の丸山久容さんがダイエットを始めたのは、驚くことになんと65歳から。自分のことは後回しにして、子どものこと、夫のこと、親の介護のことなどを優先する考えが染み付いていたという丸山さん。懸命に日々を過ごす中で、「自分は何のために生きているのか?」と自問自答することもあったと言います。そんな思いを抱えながらもダイエットを決断した背景には何があったのか、丸山さんに話を聞きました。■太りすぎて脊椎管狭窄症に…この体で生きていくのかと感じてダイエットを決意――ダイエットでまるで別人のように大変貌をされていますが、ご家族の反応はいかがでしたか?【丸山】夫はあまり気づいていませんでしたが、さすがに半年くらい経ってからは「体調が良くなってきて良かったね」と言ってくれました。脊椎管狭窄症で歩行困難になり、姿勢も午前中は腰が曲がったままなので、そちらの方が大変でしたから。夫は「僕は太った女性は嫌いじゃないよ」と、太っていたときのことも否定しないでくれました。――周囲の方々の反応は?【丸山】ご近所の人は遠巻きに見ていたようで、「病気なのかもしれないと声をかけられなかった」と言っていました。ダイエットをしたからだとわかってからは、「遠くから見たら娘さんみたいだけど、近くで見たらそれなりね」と言っていました(笑)。――83kgまでに至った経緯はどのようなものだったのでしょうか?【丸山】更年期が終わってから50代後半あたりまでは75kgくらいで過ごしていました。その頃は子どもの進学、母の介護が重なり、それが原因かはわかりませんが、60歳前後から75kg、78kg、80kg、83kgと体重はどんどん増えていきました。最終的には自分自身のことがまったく考えられなくなっていたのは確かですね。――65歳の頃にダイエットを始めたそうですが、なぜ一念発起されたのでしょうか?【丸山】75kgを超えた頃から腰がだるくなり、足が痺れるようになりました。80kgくらいになると、10m歩くと腰がだるくて歩けなくなり、しばらくじっとしているとゆっくり動けるようになるという感じでした。病院に行ったところ、脊椎管狭窄症で脊椎が圧迫されて血液やリンパ液が流れなくなっているとのことで薬を処方されました。健康診断でも「脂肪肝」と判定されるようになり、痺れて曲がったままの脂肪肝の体で生きていくのかと感じたときに、「これは痩せなくては」と真剣に決意しました。■体の栄養が整うと味覚も変わる栄養の摂り方をきちんと学んだことで得たもの――これまでにどのようなダイエット方法を実践されてきたのでしょうか?【丸山】昔は「健康優良児」といって大きい子が褒められ、うちの両親も私が太っていくと喜び、頬が少しでもこけてくると夫婦喧嘩をするほどでした。だから、子どもの頃は痩せるなんてとんでもないことだったので、ダイエットを意識したことはありませんでした。――大人になってからは?【丸山】出産後は女性は太って緩んでいくものと思っていましたし、中年になると太るのが普通で、細い人は体質だろうとしか思っていませんでした。周りも体格の良い人が多かったのでダイエットは考えませんでしたし、趣味で声楽をしていたので「体が大きいほうが響きがいい」などと言って自分を納得させていましたね。――最終的に「これでいける!」と転機になったダイエット法は何だったのですか?【丸山】64歳の頃にダイエットを考え始め、食べないダイエットやファスティングは何度か行ったのですが、食べない生活を長く続けることはできないと思いました。そこで脂肪肝の対処法を調べたところ、栄養の摂り方を学ぶことの必要性を感じました。そんなときにYouTubeで見つけたのが、松田リエさんが提唱している「食べて痩せる方法」でした。――具体的にどういったことをするのですか?【丸山】そこでは、食事内容を見て、食べるものの量や栄養をバランス良く摂るための工夫などを導いてくれました。すべての栄養のこと、体のメカニズム、どうして太るのか、どうすれば痩せるのかといったことを教えてくれたため、これを食べなきゃいけない、これを食べてはいけないということもわかりました。――今の体の状態は?【丸山】肝臓の数値も標準値になり、コレステロールも標準値、脊椎管狭窄症の症状もなくなり、今はスタスタ歩けますし、走ることだってできます。腰の痺れもなくなりました。――ダイエットを続けられたモチベーションは何だったのですか?【丸山】「痩せたい!」「体が変わっていっている」「食べたもので今の自分ができているから、これから食べるもので自分は変わっていく」という気持ちです。毎晩「私は痩せている、痩せている」と思って寝ていました。毎日100~200gくらい痩せていきましたから、それだけでいいんです。――やはり気持ちも大事なのですね。【丸山】自分が自分を作っているという実感。甘いものを食べれば太るのだから、人体実験ですよね。自分の体の変化をこんなにも感じられるなんて素晴らしいこと。だから、毎日楽しくて全く苦しくなかったです。栄養満点の自分が出来上がっていきます。爪がきれいになり、指先がきれいになり、髪の毛がきれいになり、顔がスッキリします。パンツが緩くなってきます。そんな小さな変化がうれしいです。■「私の人生はなんだったの?」と思うことも… 自分の人生の主人公になりたいと実感丸山さんは、現在では自身の経験や方法論を教えるまでに。ダイエット開始前に懸命に家族のために生きてきた自分を振り返り、年齢に関係なく「自分らしく生きることができる」と次のようにSNSでメッセージを発信し続けています。「私だって好きで肥えてるんじゃないわよ。ストレスで、食べなきゃやってられなかったんだから。みんな私が悪いの?太ってるのも私が悪いの?太りたくて太ってるんじゃないわよ?私だって、スマートに綺麗になりたかったよ。いつの間にか、60を超えちゃっただけ。がむしゃらに家族のこと、家のこと、仕事をやってきた結果がこれ?これじゃああんまり可哀想よ。私も私らしく生きていきたい」――このメッセージには、どのような想いがありましたか?【丸山】子どもをちゃんと育てなければ、一人前にしなければということばかりで、自分のことを考えるゆとりなんてない。母親ってそんなものではないでしょうか。自分のことは後回しにして、子どものこと、夫のこと、親のことなどを優先する考えが染み付いています。でも、私は何のために生まれてきたのかと思うこともある。死の床について「私の人生はなんだったの?」と考えたときに、子どもを育てただけの価値しかないと思ったら、すごく情けなくなったんです。子どもを育て上げるのも立派なことですが、「私の人生ってそれだけ?」って…。――世の母親の多くが感じることかもしれませんね。【丸山】子育てが終わり、これからまだ20~30年人生があります。この先の生き方を模索できる力を持っていたい。自分を殺してきた生き方から、自分の人生の主人公になりたいと思いました。しゃんと生きていく術を持たないといけないと思いますし、やりがいと生きている意味を探したいとも思っています。――これから先は、どのように過ごしていきたいですか?【丸山】一日でも長く自分の足を地面につけて生きていきたい。生き生きと溌剌として元気でありたいと思っています。亡母(享年90)が「毎年歳を取るけど、そこは今まで行ったことのないところ。初めて行くところなのよ。楽しみで仕方がないわ!」と言っていました。私もその精神で、今まで行ったことのない世界に毎日行っていると思うと、ワクワクが止まりません。
2024年04月23日健常者の長男、ダウン症と自閉症スペクトラム障害がある次男、100万人に1人という小児交互性片麻痺で車椅子生活の三男、そんな三兄弟の日々を、Instagramやブログで綴っている父・masaさん。「子どもが笑っている時は、気持ちが安らぐ」というお父さんに、息子さんたちの日常と子育てについて聞いた。◆医師よりダウン症の可能性を指摘され、不安で寝付けなかった――Instagramやブログでは、日々の様子を綴っていますが、始めたきっかけを教えてください。「最初は情報収集のうちのひとつでした。同じように障がいのある子どもの投稿を見て、楽しいことや可愛いところ、そして大変なこともたくさん投稿されていました。それを見てなんとなく“自分も投稿してみようかな”くらいの気持ちで始めて、気付いたら数年経っていました」――12歳の次男・侑万(ゆま)さんはダウン症と自閉症スペクトラム障害があります。ダウン症がわかった時の状況を教えてください。「侑万が生まれて落ち着いた頃に、医師よりダウン症の可能性を指摘されました。その後すぐに近くの県立病院へ転院することになりました。あの日の夜は、“将来どうなるんだろう”という不安もあり、スマホでダウン症についていろいろ調べていたのでなかなか寝付けませんでした」――3年前には、自閉症スペクトラム障害であることも発覚しました。当時の状況を教えてください。「自閉症であるとは、思いもしなかったです。比較的軽めだったので、わかりにくかったのだと思います。学校やデイサービスの方たちも同じように驚かれていました。振り返れば、妙なこだわりやたまにかんしゃくを起こしたりと思い当たるところがあります。ただそれ以上に面倒見が良く、率先してお手伝いをしていたので、とても自閉症とは思えませんでした」――侑万さんは、どんなお子さんなのでしょうか?「とても明るく、人懐っこい性格です。面倒見が良いようで、学校やデイサービスでも誰かを気遣っているようです。ただ押しが強いことがあるので、迷惑がられることもあります。お風呂掃除や洗濯物を畳んだり、ご飯を作るのを手伝おうとしたり、普段から積極的に家事を手伝ってくれます」――最近、侑万さんの成長を感じた出来事を教えてください。「小さい時からよくお手伝いをしてくれていました。最初はタオルから始めましたが、いまは服も畳むようになりました。ほかにも掃除やごみ捨てを自発的にやりたいと言います。1人では難しいこともあるので、誰かが付き添う必要はありますが、むしろ“一緒にできる””もっとやりたい”とお手伝いは楽しいことだと理解しているようです」――学校などでも面倒見の良い侑万さんですが、お兄ちゃんだなと感じる一面を教えてください。「侑万は、弟の友波に愛情いっぱいで世話をしたがります。お風呂上がりに友波を迎えに行ったり、オムツ交換をしたがったり、出掛けた時は友波が乗っているカートを押したりと、自分がお世話係だと思っているようです」◆三男は“100万人に1人”という指定難病が発覚、当初は実感がわかなかった――9歳の三男・友波(ゆは)さんは、100万人に1人という小児交互性片麻痺で車椅子生活です。医者でもあまり知られていない病気のため、診断が出るまで時間がかかったそうです。不安な日々を過ごす中、病名がわかるまでの状況を教えてください。「侑万の時と同様、直ぐに県立病院へ転院することになりました。ただ友波の時は原因がわからない状態での転院だったので、とても不安でした。ですが2度目ということもあり、比較的気持ちは落ち着いていました。それに妻がとても落ち込んでいたので、私も同じような状態ではいけないという想いがありました。ただ何度も発作が出て、入退院の繰り返しだったので、体力的にもしんどかったです」――病名がわかった時の心境は?「脳波や遺伝子など、いろいろ検査しました。ようやく病名が判明しても聞いたことがなく、生まれてから時間も経っていたので、あまりにもわからなさすぎて『そうなんだ…』と実感がわきませんでした。小児交互性片麻痺は、乳児~幼児初期までに発症する左右不定の一貫性麻痺症状です。主な症状は、麻痺、眼球異常、筋緊張低下、重度精神運動発達遅延、痙攣などがあります」――普段の生活はいかがでしょうか?「いまは特別支援学校に通っていますが、発作があるため送迎バスに乗れず、片道30分ほどの道のりを毎朝送っています。学校後はデイサービスへ行きますが、調子が悪いと早退するので、急遽お迎えに行くことになります。これまで何度も発作で早退しましたが、3年生になってようやく体が大きくなってきたこともあるのか、ここ1年は少し早退が減ってきました」――友波さんは、どんなお子さんなのでしょうか?「好奇心が旺盛で、いろんなことに挑戦したいようです。たくさんの本をめくってみたり、いたるところの棚を開けたり、扉をトントンしたり何事にも興味津々です」――最近、友波さんの成長を感じた出来事を教えてください。「学校で使ったコップを自分でキッチンに運べるようになりました。まだ立つことができないので、ずりばいですが、“父ちゃんに渡す”という強い意思のもと、袋を持って移動できることは、とても大きな進歩です。あと侑万が友波のそばで歯磨きをすることが多く、それを見ていた友波が真似して自分で歯磨きをするようになりました。侑万が良いお手本になってくれています」◆弟たちの面倒を率先して見る長男の姿に父は何を思う「長男には自分の幸せを考えてほしい」――ブログでは「長男はとにかく甘えっ子だけど、ここぞって時は頼りになる」と紹介されていました。長男は健常者とのことですが、どんなお子さんなのでしょうか?「いまは高校生なので甘えっ子という感じはなのですが、頼りになるところは変わりません。最近では、春休みでいろいろな用事が重なり、私が夜勤明けで夕方まで寝れずにいると、『後はやっておくから寝てきて良いよ』と言ってくれます。おかげで出勤まで仮眠ができました。侑万や友波をお風呂に入れてくれたりもします。とてもありがたいことなのですが、親としては高校生なのでもっと自分の時間を大切にし、将来のことを考えた行動をしてもらいたいと思っています」――SNSでは、弟さんたちの世話する長男の様子が投稿されています。周りからさまざまな声があるかと思いますが、親としては不憫に感じることもあるのでしょうか?「どうしても侑万や友波にかかりっきりになってしまうのですが、長男との時間を極力大切にしてきたつもりです。家族のために何かができることは、良いことだと思います。ただ自分を犠牲にしてまでやることではないので、許容範囲内でできることがあれば、本人のやりたいと思う時に、自分の判断でしてくれていたと思います。ですが、まだまだ子どもなので論理的な考え方ができないこともあり、親としては『そこまではやらなくて良いよ。ありがとね!』と止めるようにしています」――長男に対する想いや親として伝えたいことはありますか?「とにかく自分の幸せを考えてほしいです。親として長男のこともしっかり考えていますし、侑万と友波のことも考えています。『障害児の兄弟は可哀想』という方もいますが、そう思うのも人それぞれです。自分の人生をしっかりと考えて向き合ってほしいと思っています」――長男の成長を感じる瞬間や最近の様子を教えてください。「最近は、年頃で反抗期かなと思うこともありますが、人に優しく、時には厳しくもできるようになりました。小さい頃から世間一般の子どもとは少し違う暮らしだったので、同級生よりもたくさんの経験をしてきたからだと思います。面倒見が良く、子ども好きな一面もあり、長男に子どもが生まれたら良い父親になってくれそうです」◆親が辛い状態では子どもたちも楽しめない、障がいがあっても子育ては楽しめる「子どもの笑顔で気持ちが安らぐ」――子どもを通して学んだことはありますか?「家族で力を合わせて大変な時を乗り越えて行かなければならない。親・兄弟も、皆の将来を尊重できるように、向き合っていかなければならないと感じています。そして親が辛い状態では子どもたちも楽しめないので、私も日々楽しむようにしています。子どもたちは学校やデイサービスでいろいろなことを学び経験し、日々楽しませてもらえています。特別なことはしていませんが、家では子どもたちの話にしっかり耳を傾け、リラックスできるように心がけています」――Instagramの投稿が記事になり、事実とは異なる心無い声も寄せられました。改めてどのように感じたのか教えてください。「疑問については、可能な限りお答えしたいと思っています。そして寄せられた声は、今後の子育ての参考にさせてもらっています。特に他の方の経験談は、とても勉強になり、そうした声をもらえると嬉しいです。ただ、批判についてはとても残念なことです。投稿する前に一旦止めて、自分のコメントを振り返ってもらいたいと思っています」――Instagramやブログを通して伝えたいことはありますか?「侑万と友波は、生まれて直ぐに転院したので、子どもたちの将来がどうなるのかとても不安でした。ほかにも子育てで大変なこと、辛いこともたくさんありました。でも同じような経験をした方やそうでない人にも、『同じようなことがあったな!』とか『子どもに障がいがあっても子育てを楽しめるんだ』ということを知ってもらいたいです」――仲良し家族ですが、日々の生活で幸せだと感じることを教えてください。「間違いなく子どもの笑顔です。彼らが笑っている時は、気持ちが安らぎます」
2024年04月22日新生児期の育児を分担しているご家庭で、パパが深夜育児を担当していたらノイローゼになってしまったという投稿がTikTokで話題に。投稿者はゆみみンゴTVという夫婦YouTuberで、パパのけんごさんは赤ちゃんの泣き声に怒りを感じてイラついてしまい、「パパ失格だ」と思わず漏らしてしまう…。そんな時に妻からかけてもらった言葉で救われたと語っています。この投稿には「この夫婦ほんとに憧れる」「ノイローゼになるくらい子育てをしてくれている素敵なパパさんです」「育児に悩んでる時に、大丈夫だよと夫に言われるより、辛いよねわかるよと言われたかった」などと、さまざまなコメントが寄せられました。育児のどんなことがつらかったのか、ノイローゼになった際はどういった心境だったのか、夫のゆみみンゴTV・けんごさんに話を聞きました。■「静かにしてくれ!」という怒りが…泣き出す娘にイラつく自分に激しく後悔――深夜に家事育児のたくさんのタスクをやりすぎていたとのこと。どのように話し合い、分担を決めていたのでしょうか?【けんご】生後3ヵ月までは、妻と分担し、時間を分けて家事と育児をやっていました。夫の私はもともと夜型人間だったので、夜22時~翌朝6時頃までを自分の担当時間に振り分けていました。朝起きたときには少しでも家事を減らしておいて、妻の負担を少なくしたいと考えていたため、結果的に深夜のタスクが増加してしまいました。――「2ヵ月間、娘をかわいいと思える瞬間がなかった」と動画で奥さんに打ち明けています。言葉にするのは正直大変だったと思います。気持ちを伝えるのに、どのくらいの勇気が必要でしたか?【けんご】心の疲れがピークになった際に妻が寄り添ってくれたことで、初めて育児の悩みを打ち明けられる状況になりました。「妻が自分の考えを聞いたときにショックを受けてしまったらどうしよう」という不安を抱えながら打ち明けたことを覚えています。――自分が“育児ノイローゼ”かも…と自覚したのは、どのようなときだったのですか?【けんご】娘が泣いているとイライラし始めるようになってしまい、その頻度と間隔が短くなってきたときに、育児ノイローゼを疑うようになりました。――そのときのメンタルの状態は?【けんご】次第に、娘が少しでも泣くと「静かにしてくれ!」という怒りが込み上げてくるようになりました。時間が経つと怒ってしまったことが悲しくなり、娘と向き合うこと自体にも苦手意識が芽生えるようになっていました。――「パパ失格やわ」と奥さんに伝えたとき、けんごさんの心境はどのようなものだったのでしょうか?【けんご】特に、自分が抱っこをしているときに娘が激しく泣き叫び、妻に抱っこを代わった瞬間に安心したように娘が眠ったときに、“パパ失格”と強く感じました。「パパっ子になってほしい」と思って、自分なりに育児に向き合っていた中での出来事だったため、非常にショックでした。娘は生後2ヵ月にして「もう自分のことを怖がっているんだ」と思い込んでいましたね。■妻が認めてくれたことが心の支えに「妻の愛のおかげで生きていける」と感謝でいっぱい「パパ失格だ」と悩むけんごさんに、「娘が泣いているのにも理由がある」「本気で育児をやっていなかったらそんなに悩まないから、ちゃんと育児に向き合っている証拠だ」とママさんからも想いが伝わる言葉が…。「そう言ってもらえることが一番うれしかった」とけんごさんも振り返っています。――奥さんから言葉をかけられたときは、どんな気持ちになりましたか?【けんご】世間一般的には「育児は親としてやって当たり前」という考えがあるため、会社の仕事のように、誰かに褒められたり感謝されたりはしないものです。そんな中で、妻が自分の頑張りを認めてくれたことは大きな心の支えとなりました。――育児に対する向き合い方も変わった?【けんご】逆に、「無理しないでね」とか「頑張れ」といった言葉は、当時の私にはきっと響かなかったと思います。育児において、誰かに頑張りを認められたり感謝されたりすることは、とても大切なことだと感じました。――けんごさんが育児にここまで向き合える原動力は何だと感じますか?【けんご】命懸けで娘を出産してくれた妻への恩返しだと考えています。妻は10ヵ月間も大きなハンデを抱えながらお腹の中で赤ちゃんを守り、痛みと恐怖と闘いながら出産してくれました。妻が頑張ってくれた分、自分がママになる覚悟で育児も全力で向き合いたいと考えています。――パパの育児に対する世の中の印象は「ママより積極的ではない」という部分もまだ多い中、けんごさんの考え方のどのような点に違いがあると感じますか?【けんご】自分が今こうして家庭を築いて幸せに過ごせているのは妻のおかげです。「妻の愛のおかげで自分は生きていけるんだ」という思いを持っているため、育児にも積極的に取り組めていると思います。――けんごさんが思い描く夫婦関係の理想像は?【けんご】お互いがリスペクトし合い、感謝し合える関係であり続けること。リスペクトの気持ちを持てば相手の意見を尊重できますし、辛いときにも相談することができます。夫婦間のコミュニケーション量は円滑な関係を築くためにも必要不可欠で、リスペクトの気持ちがコミュニケーションを増やしてくれます。――ほかにも意識しているポイントはありますか?【けんご】パートナーと長期間一緒に過ごすと、“当たり前化”してくることがあります。お皿を洗ってくれた、洗濯物を干してくれたなどの家事もそうですし、パートナーの存在自体も当たり前に感じてしまうかもしれません。しかし、自分が今幸せに過ごせているのはパートナーのおかげ。「一緒にいてくれてありがとう」という感謝の気持ちを持って生活することは、いつになっても忘れてはいけないと考えています。
2024年04月20日